喜び合う時間
昨年夏の絵画活動の日、突然息子が抱きついてきてお願いして来ました。イーゼルに向うのはうん十年前の高校の美術の授業以来。 しぶる私に、みゆき先生も「良いじゃない!!並んで描いてみたら?」と面白そうに誘ってくれます。
息子と、剥製のキジを描く事に!!
さあ、木炭を手に、真っ白な画用紙に向かいます。獰猛な目、鋭い爪を持つ立派なキジ。何をどこから描き出せば良いのか…。隣の息子は、力強い顔から細かく描き出しているのです!!迷いの無いしっかりとした木炭の線。キジの持つ雰囲気を緻密に描き込み、「色は塗りたくない」とリクエスト。先生方も面白がって下さり、本格的な木炭画にチャレンジすることになりました。
「お母さんも、そのまま描こうよ」と息子に誘われましたが、大ざっぱに構図を描くだけでヘトヘトの私。息子に早々と白旗をあげ、色を付ける事にしました。ところが、色を塗る作業のこれ又気の遠くなる事。キジの羽一枚一枚が違う色、違う形。虹色に光る様子をどう表現したらいいのやら。白い画用紙に色を乗せるのは、とっても勇気のいる作業でした。見守ってくれますが、何も言わない先生方。「これで良いのかな?」「どうだろう?」しかし、続けている間に、色を混ぜる事、試す事が楽しくなって来た自分を発見。ようやくキジが描きあがって来ましたが、次は絵の終わりがわからないのです。まだまだ手を加えたい、でもどこをどうしたら良いのか迷い、ふと周りを見ると、子ども達は次々絵を描き上げて、<ツートンブロック>遊びが始まっています!!私はこれから背景の色を決めて塗らなければならないのに…。思いつくまま、木に止ったキジになるように青空と枝を描き終了。それは、子ども達が活動終了のおやつを食べ始める時でした。改めて子ども達の描く絵の絶妙な形と色に感心しヘトヘトになっている私にジジ先生が。
「お母さん。素晴らしいでしょ!!」
と言ってくれたのです。
「えっ?本当??私もやればできるんだ!!」
それまでの自信のなさはどこへやら、次は~と又絵を描きたくなりました。この時の達成感。普段の生活では感じなかった感覚でした。
子ども達はアトリエで毎回この達成感を味わっているのです。途中心細く感じた指示の無い空間は、何かを工夫するきっかけに。そして工夫が形になった時の満足感。先生は一緒に喜んでくれます。そしてどんな形になっても認めてくれる大きな安心感。活動の全てが大きな力になるのです。
本が
「子育ての楽しみの一つは、子ども時代に楽しかった事を子どもと一緒に再現できる事」ではないでしょうか?
私はまず、大好きだった絵本を読みたい、そして、おもいっきり外で遊んで泥んこになりたいと思いました。その絵本探しで、童具と今のアトリエの場に出会えました。我が家に絵本を持って訪ねてくれたみゆき先生に出会い、絵本と童具に囲まれた小さな家に集うお母さん方に出会い、ワイワイガヤガヤする子育てがある場に強く惹きつけられました。長男が二歳の時、転勤の為北海道を離れました。が、折々にみゆき先生から便りが届き、その時紹介された本が、和久先生と汐見稔幸さんの対談をまとめた『育つ喜び育てる楽しさ』でした。その本を読みアトリエ活動を知りました。
そのころ長男は好奇心旺盛で一つの事に執着するタイプ。歩道の水溜まりで遊び出すと最後には背中からひっくり返って泳ぎ出したり。そういう姿に頼もしさを感じつつも、止らない行動に世間の目も気になり毎回最後は私が叱り、泣いて抵抗する息子を抱えて帰る事の繰り返しでした。息子はブレーキのかけ方を知らずに車を運転している様な感じです。面白い事を見つけて一直線、でも止め方がわからず相手に衝突しないと止らない。私はそれに毎度振り廻されていました。そんな時に和久先生の本を読み、とことん遊べる体験の必要性、秩序を求める子どもの気持ち。共感することの大切さを知りました。でも、頭では解ったつもりでも、日々の息子の問題行動を納める具体的な方法が見つけられず、よけい「育たない悲しさ、育てる苦しさ」ばかりに目が行きイライラを子どもにぶつけ反省する日々でした。一方息子も、四歳頃より口ぐせが「どうせ謙ちゃんなんて…」素直に甘えられない。問題を起こす事で親の注目を引き、心のモヤモヤをぶつけてくるというパターンに陥っていました。
五年前に旭川に戻り、月一回でも良いので「とにかく精一杯活動しきれる体験を」とアトリエ通いが始まりました。そして昨春札幌に戻り、月三回の活動に通っています。この五年間で子ども達はもちろん、私も成長できました。私が問題と思っていた子どもの行動は、逆の見方をすれば、子どもが困って混乱していた事でした。十歳になった長男が最近言います。「好きに遊んで良いと言われても、僕がしたいと思って遊び出すとダメダメとしかられるんだ」と。最初に、出来る遊びを具体的に伝える事も必要でした。それ以上に、息子は、好き勝手にやらせてもらえ、やり切りたいという欲求が満たされた事が少なかった。だから「どうせ僕なんて」という気持ちに繋がっていたと発見できました。子どもの視点に合わせると、問題になっている行動は、解決の具体的な方法を探すきっかけになり、問題ではなくなるのです。子どもとの毎日がすごく楽しくなりました。
アトリエという場で、子どもが秩序ある中で思うままに活動できる自由。そして、活動をやり切ることが出来た達成感。それが子ども自身「僕は僕で良い」という自信を育てると実感しています。人間「出来た!!」と言うプラスの感情でないと素直な成長はできないと、気が付きました。
さて、息子は十歳。いつの間にか「どうせ僕なんか」という発言は無くなり、私に抱きついて来て甘えられるようになりました。衝動性も減り、自分の感情のコントロールが上手くなって来ました。緻密に描ける目を持ち、毎回思いも寄らない発想を見せてくれます。小さな時夢中になると止められなかったのも、この特性の表れだったとわかりました。
「アトリエはダメを言われないから好き」と、毎回の活動で無理な発想を一緒に工夫してくれる先生方に、本当に彼は救われていると感謝です。
長女は、いつもそんな兄の下で一歩引いている娘でした。ですが、自分の主張は曲げない強い気持ちを持っています。その主張を上手く表現できない子どもになっていました。兄とは違った意味で「想いのままに活動を」と願ってのアトリエ。朗らかな彼女らしい作品から時々、キラリと光る鋭い感性を見せてくれ、兄に負けない存在感を示せるようになりました。
次女は、旭川に戻った時一歳半でした。兄姉の活動を別室で待っていた中、二歳の頃に自らの意志でアトリエ活動に加わり、初めから私は必要とされませんでした。自我の芽生えた頃から、自ら集中し、喜びを発見する事が出来た子どもは、こんなにものびやかなんだ!!と感心する子に成長して来ています。
そして、四人目の次男。昨夏より親子クラスで活動をしています。四人目にして初の親子の活動。子どもと一緒に遊びながら童具の魅力を体感し、アトリエ活動と子どもの発達の関係性を具体的に私に教えてくれる場になっています。先日は、球の活動でした。はじめは一つの球の転がりをじっと眺め、それを何度か繰り返し、それに満足すると次は二つ、三つと球を転がし、そのうちに沢山の球を転がしてみたいと思ったのでしょう。球を<プレイボックス>に集め、一気に流そうと持ち上げましたが、残念、力が足りず手前に全て落ちてしまいました。でも、又球を拾い集めます。この様に、子どものひらめきと、実際にひらめきを行動に表し、その行動が成功するように工夫する過程が目の前で展開されるのです。手や口を出さずに「どうなるかな?」と期待を込めて待つ喜びを味わう事ができます。そして、子ども・友達・先生皆で喜び合う時間はなんと幸せな時間なのでしょう。
「子どもは皆天才的な力を持っている」
それを、実感できる素晴らしい場がアトリエなのだと思います。
和久洋三のわくわく創造アトリエ 札幌中央プレイルーム
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TEL:011-669-8566 FAX:011-669-8567
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